No.A098
年齢 | 不明 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/10/10 |
剖検年月日 | 1945/10/10 |
被爆距離 | 1600 m |
被爆時地名 | 昭和町(比治山橋西側) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
屋外で労働中に被爆しました。カーキ色の上着とズボンを着用し、帽子をかぶっていました。
顔、首、前胸部、両上肢にやけどを負い、直ちに約1.8km離れた家に帰りました。
症状の経過
栄養状態は不良で、9月21日に宇品陸軍病院に入院しました。
10月6日から8日にかけて嘔吐がみられました。10月8日の午後、突然、約500ccの下血があり、季肋部と右下腹部の圧痛を訴えました。腹部は膨満していました。
9月21日の検査では、白血球は2200/μl、赤血球は161万/μlといずれも低値、10月3日の検査では、白血球は8800/μlと増加していましたが、赤血球は146万/μlと依然低値でした。
当時の記録からわかること
正確な年齢は不明ですが、高齢の男性とあります。極度の栄養不良状態でした。
皮膚に点状出血はありませんでした。貧血が高度でした。
両側の胸腔内にはそれぞれ約200mlの黄色で混濁した胸水がたまっていました。
盲腸には腸重積があり、重積した部分は暗赤色で明らかに壊死していました。その部位の腸間膜は顕著にうっ血していました。
骨盤腔には約800mlのチョコレート色の腹水がたまっていました。
左の扁桃腺は壊死していました。咽頭の右側では0.5cm大の膿瘍がみられました。
病理組織標本からわかること
大腸の粘膜には高度の壊死による変化が見られます。
腎臓の近位尿細管内腔に尿円柱があります。糸球体の硝子化はありません。
リンパ節でも、濾胞形成は見られませんが、リンパ球は多数存在しています。
皮膚のやけどの部分では表皮の壊死により潰瘍ができています。
まとめ
盲腸に腸重積が認められ、腸管には壊死が認められています。腹膜炎を伴っており、腹水も800ml貯留しています。栄養不良状態で高度な貧血がある状態であり、この腸重積が死因になったと考えられます。
腎臓の尿細管に尿円柱の形成がみられ、急性腎不全状態であったと推測されます。
放射線による影響として、皮膚のやけどが治癒せず膿瘍ができています。
死亡時には回復傾向を認めていますが、骨髄不全による巨核球と赤芽球の減少によって、点状出血と貧血が生じたと考えられます。
皮膚の毛嚢の萎縮(脱毛)も放射線によると思われます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31