No.A097
年齢 | 9 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/29 |
剖検年月日 | 1945/09/29 |
被爆距離 | 1200 m |
被爆時地名 | 広瀬北町(広瀬国民学校) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
屋外の、建物の近くで被爆しました。
白いシャツ、灰色の半ズボンを着て裸足でした。
症状の経過
被爆当日から下痢が始まり、死亡日まで続きました。
9月1日、喉の痛み、発熱、食欲不振が出現しました。
9月19日の血液検査では赤血球数280万/μl、白血球数1700/μlといずれもやや低値でした。白血球分類では好中球18%、リンパ球44%、単球34%、幼若球4%でした。
当時の記録からわかること
頭髪はほぼ完全に脱毛していました。唇に出血がありました。口腔粘膜には点状出血が見られました。
前額部と顔面の左半分にやけどの痕がありました。胸部や腹部にやけどの痕が多数ありました。これらは全て治癒していました。左右の腕と足にもやけどの痕がありました。
左肺の下葉は不規則にうっ血性で、小さいながら限局性の出血がありました。
胃には点状出血とより大きい出血斑および表層性の潰瘍が見られました。
大腸では、粘膜が腫脹し、出たばかりと思われる出血を伴った潰瘍がみられました。
病理組織標本からわかること
この方の標本は2枚のみが残っており、いずれも腎臓の標本です。
まとめ
残っている腎臓の標本には大きな異常は認められないため、当時の記録から病態を推測しました。
喉の痛みと発熱があったことから、口内炎とそれに関連する肺炎の存在が示唆されます。
下痢があったこと、胃や大腸に潰瘍があったことから、脱水、栄養失調の状態であったと考えられます。
出血がみられたことから、骨髄では巨核球が減少していたと思われますが、記録では過形成と記録されています。骨髄球系細胞の過形成があったことが考えられます。
直接の死因を断定はできませんが、肺炎や栄養失調、脱水などが影響したと思われます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31