No.A087
年齢 | 20 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/08/31 |
剖検年月日 | 1945/08/31 |
被爆距離 | 1000 m |
被爆時地名 | 水主町(中島国民学校付近) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
爆風で4m飛ばされ、顔面と膝を打撲しました。
やけどはなく、被爆後も動くことができました。
症状の経過
8月25日より発熱があり、8月27日に脱毛に気付きました。
8月28日に宇品陸軍病院へ入院し、その際出血を伴う口内炎、嚥下痛と多数の点状出血がみられました。
8月27日に頭痛、8月30日には視野障害が出現しました。体温は40.0℃でした。
8月29日の血液検査では赤血球は211万/μlと低値、白血球は3300/μlと正常下限でした。出血時間は28分と顕著に延長していました。
当時の記録からわかること
脱毛が顕著でした。全身の皮膚には、2㎜から1cm大までの出血が多数みられました。
両肺ともに広く無気肺の部分がありました。胸膜表面には点状出血が見られました。
回腸では偽膜で被われた浅い潰瘍が認められ、一部で凝血塊が見られました。大腸は全体が浮腫性であり、一部に線状の潰瘍がありました。直腸には多くの潰瘍がみられ、出血で囲まれていました。
咽頭と舌の扁桃は黒く、壊死が深部にまで拡がっていました。
大腿骨の骨髄では上1/3が赤色髄で、下2/3は脂肪髄でした。
病理組織標本からわかること
この方は脳の標本しか残っていません。脳には大きな異常は見られませんでした。
以下は当時の記録にある組織所見です。
大腸の多くの部位で粘膜は完全に壊死性していました。壊死の病巣内には細菌塊が見られました。
脾臓の中心細動脈周囲ではリンパ球はかなり減少していました。
リンパ節には胚中心が見られず、リンパ球はかなり少数でした。
大腿骨の骨髄はほとんど完全に脂肪髄でした。骨髄球系、赤血球産生系の組織はみられませんでした。
まとめ
脳の標本しかないため当時の記録から推測しました。
出血時間が延長していたこと、顔面、腹部などの皮膚や、胸膜、腹膜、直腸粘膜などに点状出血がみられたことより出血傾向があったと思われます。骨髄が高度に低形成であったこともこれを裏付けます。
咽頭部と扁桃腺の壊死から感染しやすい状態であったことが推察されます。
脾臓とリンパ節におけるリンパ組織の萎縮も高度で、リンパ球産生の高度な低下があると思われます。
大腸には深い潰瘍が多発しており、回腸には浅い潰瘍の形成を認めますが、炎症反応は乏しいと書かれています。
いずれも放射線の関与が大きいと考えられます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31