No.A079
年齢 | 29 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/05 |
剖検年月日 | 1945/09/05 |
被爆距離 | 不明 |
被爆時地名 | 不明 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
軍人であり、兵器教育のため広島市に出張中に被爆しました。正確な被爆場所はわかっていません。
全身とくに頭部に裂傷を負いました。
症状の経過
自宅にて療養後、8月11日に連隊に戻りました。
8月31日より39℃の発熱があり、9月1日岡山陸軍病院に入院しました。傷は化膿しており、両側の歯肉は腫脹していました。体温は39.8℃であり、脈拍は98/分でした。
全身衰弱と呼吸困難が進行してゆきましたが、9月4日の時点では意識は保たれていました。
下痢が生じ、血の混じった痰を喀出し、呼吸困難が強くなり、9月5日の午後に死亡しました。
当時の記録からわかること
黄茶色の心のう水が約40mlたまっていました。心外膜には点状出血が認められました。
右肺の表面には2mmから1cm大の出血がみられ、血性の液体が圧出されました。
胃には大量の血性の液体がたまっていました。粘膜には点状出血が見られました。小腸の粘膜にも散在性に小さな出血が見られました。
心筋は蒼白でした。各心房・心室には液状の血液が貯留し、凝血はありませんでした。
病理組織標本からわかること
肝臓の肝細胞索は細く、肝細胞は萎縮しています。うっ血は認められません。
まとめ
両側肺に散在性に急性気管支肺炎の所見を認めます。細菌性肺炎と思われますが、白血球の浸潤は乏しく、これは原爆放射線の影響で骨髄における血液細胞の産生が低下しているためと推測されます。
点状出血も骨髄における巨核球の減少を示唆します。
両側肺の急性気管支肺炎が直接の死因と考えられます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31