No.A074
年齢 | 18 歳 |
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性別 | 女 |
死亡年月日 | 1945/09/09 |
剖検年月日 | 1945/09/10 |
被爆距離 | 800 m |
被爆時地名 | 河原町 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
自宅で被爆しました。
ガラスの破片で、両腕、左顎、背中、左膝を負傷しました。
症状の経過
傷はよくなっていました。
8月20日、脱毛、下痢がありました。
8月30日夜に強い喉の痛みを伴う高熱があり、31日に岩国海軍病院に入院しました。入院日の白血球は960/μlでしたが翌日は620/μlとなり、9月5日には100/μlまで減少しました。
その後は徐々に増加し、9月8日には3200/μlまで回復しましたが、全身状態は悪化し、9月9日に死亡しました。
当時の記録からわかること
胸腔では、横隔膜面や肺の後面などに広く癒着がみられました。
肺は広くうっ血していました。暗い茶色の小さな硬い病変が多数あり、特に肺尖部に多く見られました。
脾臓には多くのリンパ組織がみられました。
胃は噴門部の粘膜に出血が見られ、胃内には1匹の回虫がいました。上行結腸の粘膜には多数の出血が見られました。
病理組織標本からわかること
肺の標本は残っていませんが、当時の記録に以下の記載があります。
肺には中心部に細菌塊を伴う大きな壊死巣があります。肺胞壁にはうっ血がみられます。
まとめ
骨髄では広い範囲で細胞密度の高い部分がみられます。血液検査でも白血球数がいったん減少した後に回復してきたことが記録に残っています。放射線障害のため造血細胞が減少し、血小板減少による出血傾向の強かった時期に胃粘膜などの点状出血が生じたと考えられます。骨髄では、骨髄球系の芽球の増生や巨核球あるいは有核赤血球の集まりがみられ、造血機能が再生してきていることが分かります。
脾臓やリンパ節ではリンパ球が多くみられ、こちらも放射線の影響からは回復してきていると思われます。
両肺では、急性うっ血水腫とともに、多巣性に急性気管支肺炎の所見がみられます。この肺炎が、直接的な死因になったと考えられます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/03/31