No.A073
年齢 | 26 歳 |
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性別 | 女 |
死亡年月日 | 1945/10/13 |
剖検年月日 | 1945/10/13 |
被爆距離 | 600 m |
被爆時地名 | 下中町(広島中央電話局) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
2階建のコンクリート製の建物内で被爆しました。
ガラスの破片で頭皮に裂傷を負いました。足背にはやけどを負いました。
症状の経過
被爆当初にはきけと嘔吐、下痢があり、食欲不振が続きました。
下痢は一旦治まった後、8月25日に再発し9月初めまで続きました。
8月25日より40℃に達する発熱が始まりました。
9月1日に歯肉炎と咽頭炎が出現し、扁桃に潰瘍ができました。
9月21日に喀血があり、9月28日から呼吸困難がありました。
8月29日の血液検査では赤血球268万/μl、白血球1130/μlと低値でしたが、9月24日には赤血球304万/μl、白血球7600/μlと回復傾向でした。
当時の記録からわかること
栄養状態は不良でした。少数の古い点状出血が首にみられました。右頚部には古いやけどの痕がありました。口唇には少数の点状出血が見られました。
左肺は前縦隔と癒着していました。左肺の表面には少数の点状出血が見られました。灰白色の混濁した塊が隆起してみられました。右肺上葉にはリンゴ大の空洞があり、その近くに乾酪性肺炎の病巣が認められました。中葉には乾酪性肺炎の他の病巣があり、その中にも大型の空洞が見られました。
病理組織標本からわかること
この方の標本は骨髄のみが残っています。
まとめ
組織標本が骨髄しかないので、残された肉眼所見及び組織所見の記録から推測しました。
右肺には広範囲に結核症があり、大型の空洞とその周囲の乾酪性肺炎があると思われます。この炎症に伴って骨髄では、骨髄球系の過形成が生じています。骨髄に放射線の影響は明らかではありません。(回復後と思われます)
右肺の結核症が直接的な死因と考えられます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31