No.A060
年齢 | 25 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/08/14 |
剖検年月日 | 1945/08/15 |
被爆距離 | 1200 m |
被爆時地名 | 不明 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
屋外で被爆しました。
右側顔面、右肩、両上腕及び前腕、左手、両下肢、左側の横腹にやけどを負いました。
症状の経過
8月7日に似島に搬送された際、はきけや嘔吐、下痢はありませんでした。
8月13日の体温は39.3℃であり、8月14日の死亡直前では41.0℃でした。
8月13日の白血球数は5500/μlと正常でした。
当時の記録からわかること
大変背が高く、栄養状態は良好でした。
大きなII度のやけどの部位はかさぶたに被われていました。
左右の胸腔はところどころ癒着していました。胸水の貯留はありませんでした。両肺の下葉は均質でゼラチン状であり、親指大の出血巣が散在していました。
心臓の後面に点状出血が見られました。
胃にかなり多数の点状出血がみられましたが、潰瘍は認めませんでした。十二指腸の粘膜には点状出血が数多くみられ、小腸では、浅いびらんがみられました。
病理組織標本からわかること
標本は残っていません。以下は当時の記録にある組織所見です。
肺のいくつかの肺胞内には細菌が見られましたが、一部を除いて細胞浸潤を伴っていませんでした。
左心房の心内膜は高度に肥厚していました。ここに白血球はみられませんでした。
扁桃腺や脾臓では小リンパ球が著しく減少していました。
腎臓の尿細管は委縮し、多くの糸球体は腫大していました。
腸間膜リンパ節のうち1個では、完全な壊死組織からなる結節が見られました。
骨髄は細胞が多く、ほとんどは顆粒球系でした。巨核球が多く、赤血球は減少していました。
まとめ
組織標本は残っていないため、当時の記録から推測しました。
骨髄では造血細胞の過形成がみられますが、大半は骨髄系細胞であり、左方移動を伴います。
脾臓や扁桃腺においてもリンパ組織の萎縮がみられ、これは放射線の影響とみなされます。
心臓では、慢性の心筋炎、心内膜炎があり、腎でも慢性腎炎の所見がありますが、これらは被爆以前から存在した可能性が高いと考えます。
出血を伴う急性気管支肺炎が直接の死因になったと思われます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31