No.A058
年齢 | 57 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/20 |
剖検年月日 | 1945/09/20 |
被爆距離 | 1200 m |
被爆時地名 | 幟町 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
木造家屋内で被爆しました。
頚部、顔、両手に軽度の外傷、足背にはやけどを負いました。
症状の経過
被爆当日から全身倦怠感が始まり、8月20日には点状出血と下痢がみられました。
9月初めから食欲不振、歯肉炎、咽頭炎が始まり、死亡日まで続きました。
9月17日、台風による水害のため居住していた掘立小屋が浸水し、全身が冷えて体調が悪化しました。
9月20日入院直後に亡くなりました。発熱もあったとのことです。
当時の記録からわかること
高度の栄養不良状態です。顔面、下肢、左手背はむくんでおり、両手背、足、眼瞼に古い点状出血が少数みられます。右足背にやけどの痕と思われる瘢痕があります。頭髪の脱毛はありません。
両肺とも肺尖部は肺気腫を示しています。下葉には浮腫がみられ、実質は暗赤色であり、急性肺うっ血が疑われます。胸膜下に半分石灰化した結節があり、古い肺結核の所見です。
骨髄では赤色髄は減少しており、脂肪髄と思われる黄色の部分も認めます。
病理組織標本からわかること
この方の標本は骨髄しかありませんでした。
まとめ
骨髄は血液細胞の増加を示す部分もあり、回復し始めていたと思われます。ただし出血や下痢など急性期の症状が出ていたという記録があり、一時は血球数もかなり減少していたと考えられます。
病理の記録や標本からはっきりとした死因はわかりません。
急性肺水腫による呼吸不全の可能性が考えられますが、肺水種を起こした原因となるような所見の記載はありませんでした。
栄養状態が悪く、全身が衰弱していたところに水害にあい、それが命取りになってしまったのかもしれません。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31