No.A053
年齢 | 24 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/02 |
剖検年月日 | 1945/09/02 |
被爆距離 | 1000 m |
被爆時地名 | 水主町(中島国民学校付近) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
軍人でした。中島国民学校付近で建物疎開作業中に屋外で被爆しました。
やけどや外傷はありませんでした。
症状の経過
8月17日に脱毛がみられ、8月24日に頭痛、食欲不振が始まりました。
8月27日、宇品陸軍病院入院時、体温は39.2℃で、頚部と腹部に点状出血が認められました。高熱が続き、死亡前日の9月1日には頭痛と意識混濁がありました。
当時の記録からわかること
皮膚全体に点状出血が見られました。背中にはかさぶたを伴う浅い潰瘍が数カ所にありました。
右胸腔は全体的に癒着していました。右肺上葉では、石灰化を伴う乾酪壊死の大きな塊が散在していました。気管・気管支周囲のリンパ節は石灰化していました。
胃粘膜には点状出血が少数ありました。空腸には2匹の回虫がいました。回腸の中央部分にはいくつかの潰瘍がありました。大腸粘膜には点状出血が見られました。
腸間膜や後腹膜のリンパ節の多くは腫大し、出血を伴っていました。
右の扁桃腺は壊死していました。
病理組織標本からわかること
残っている標本は脳と眼球のみで、これらに大きな異常は認められません。以下は当時の記録にある組織所見です。
肺には大きな壊死巣があり、これらの中心部分には細菌塊が見られました。
気管支壁は、多くの部位で壊死していましたが、炎症反応はありませんでした。
骨髄は低形成で、脂肪細胞の間に少数の骨髄細胞(好酸球やリンパ球、後骨髄球、少数の巨核球)がみられました。骨髄は再生してきていると思われる所見ですが、成熟した白血球の産生が見られないのは異常です。
まとめ
骨髄における造血組織の萎縮がみられ、巨核球の減少による皮膚などの点状出血が広くみられます。また、扁桃腺の壊死や皮膚の潰瘍は免疫低下状態を示唆すると思われます。また、脾やリンパ節では、リンパ球産生の低下がみられます。これらは放射線の影響と思われますが、骨髄の一部では再生性変化も伴われます。
肺では、右肺上葉に出血を伴う急性気管支肺炎がみられます。右肺上葉と気管支周囲には陳旧性結核がみられ、一部は活動性結核の再燃も認められますが、これらも免疫低下状態による病変と考えます。
気管支肺炎が直接的な死因になったと思われます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31