No.A005
年齢 | 46 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/10/10 |
剖検年月日 | 1945/10/11 |
被爆距離 | 2300 m |
被爆時地名 | 吉島町 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
広島刑務所で被爆しました。
被爆後すぐに釈放されました。
症状の経過
路上で倒れているところを発見され、草津の県立病院に運ばれました。
詳しい経過などの記録は残っていません。
当時の記録からわかること
栄養状態は不良でした。
顔と四肢に瘢痕化したII度のやけどがありました。脱毛はありませんでした。
両肺の下葉には肺炎と思われる病巣がいくつかありました。また、うっ血もありました。
脾臓は正常よりも小さく、濾胞は不明瞭でした。
肝臓の実質は通常より混濁していました。
脳の軟膜に軽度の出血がありました。硬膜の内側には大きな血液の塊はありませんでした。
肋骨や左上腕骨の骨髄は赤色髄でした。
病理組織標本からわかること
肝臓の小葉辺縁部で中等度の脂肪変性が見られます。
腎の糸球体に異常はありません。
前立腺の上皮細胞が小型化しています。
皮膚の表皮が萎縮しており、潰瘍ができています。真皮には炎症細胞が浸潤しています。
まとめ
骨髄の標本からは造血細胞の高度な減少があると思われますが、出血や炎症は顕著ではありません。肉眼的には赤色髄であったとの記載がありますので、ほかの部位に造血機能が保たれていた骨髄があったのかもしれません。
両側の急性うっ血水腫が死亡につながったと思われますが、その原因は明らかでありません。
脾臓や骨髄に高度のヘモジデリンの沈着がみられ、何らかの原因で溶血(赤血球が被壊されること)が起きていたことが示唆されます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31