No.A041
年齢 | 25 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/22 |
剖検年月日 | 1945/09/22 |
被爆距離 | 1000 m |
被爆時地名 | 基町 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
中国第104部隊の軍人でした。
症状の経過
9月17日、枕崎台風で右上腕に裂傷を負い、大野陸軍病院へ入院しました。
9月21日に宇品陸軍病院へ転院した際、体温は37.5℃で呼吸困難がありました。腕の裂傷は次第に潰瘍となり、3cm大に達し、皮下に膿がたまりました。
9月21日の血液検査では、赤血球は156万/μlと低値、白血球は11900/μlと高値でした。細菌検査では、心のう水と胸水から多数の連鎖球菌を認めました。
当時の記録からわかること
栄養状態は不良でした。点状出血はありませんでした。
左の胸腔には膿を含む200ccの胸水がたまっていました。左肺には慢性の結核と思われる病変がありました。右肺は無気肺の状態でした。心のうには膿性の心のう水が存在していました。
胃や小腸大腸の粘膜には点状出血が散在していました。
腎臓には小さな膿瘍がみられ、被膜は癒着していました。両側とも腎盂に点状出血が見られました。
病理組織標本からわかること
残っているのは膵臓と副腎の2枚の標本のみです。以下は当時の記録にある組織所見からの補足です。
腎臓には大きな出血と膿瘍があり、多数の顆粒球が見られました。
骨髄は過形成ですが、成熟した白血球は少なく、骨髄球や、核分裂を示す大型細胞が増加していました。巨核球は減少していました。
まとめ
残っている組織標本が2枚(膵、副腎)しかないため、当時の記録をもとに推測しました。
胸水、心嚢水、および腎の膿瘍に連鎖球菌が認められていることから、おそらく右上腕部の裂傷と、そこにできた皮下膿瘍から細菌が血液中に侵入したと推測されます。血液中の細菌により、腎の多発性膿瘍や、胸水および心のう水の貯留など、全身に感染の影響が及んでおり(敗血症)、敗血症性ショックが直接の死因と考えられます。
骨髄の過形成は感染に対する反応と思われます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31