No.A040
年齢 | 23 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/05 |
剖検年月日 | 1945/09/05 |
被爆距離 | 1000 m |
被爆時地名 | 基町(広島城西側) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
中国第111部隊の軍人でした。
首と左腕にやけどを負い、飛来物が当たって背中に打撲を受けました。
症状の経過
はきけや嘔吐はありませんでした。
8月28日に水様性下痢が始まりました。このころから脱毛もみられました。
8月28日から9月4日まで40℃の高熱がつづきました。軽度の頭痛と視覚障害もありました。
8月28日の血液検査データでは、赤血球258万/μl、白血球466/μlといずれも著しい低値であり、出血時間は12分と明らかに延長していました。
9月2日の検査では赤血球178万/μl、白血球400/μlとさらに減少していました。
当時の記録からわかること
かなりやせていました。
後頭部に軽度の脱毛が見られました。皮膚にごく少数の点状出血がありました。
右肺には多数の壊死巣がありました。上葉ではこれらがいくつか癒合し、その周囲にはうっ血が顕著でした。左肺上葉にも同様の病巣が右よりは少ないものの認められました。
胃の幽門部には2㎝大の深い潰瘍がありました。小腸、大腸には粘膜出血はありませんでした。
喉頭は少しむくんでいましたが、出血や壊死はみられませんでした。
病理組織標本からわかること
標本は残っていません。以下は当時の記録にある組織所見です。
右肺に大きな壊死巣がありました。壊死物質は多くの細菌塊を含んでいました。
脾臓では成熟リンパ球は通常よりかなり減少していました。
リンパ節では大型のリンパ球が多く、Reed-Sternberg細胞(悪性リンパ腫で見られる細胞)に似ていました。
皮膚には真皮の深層に達する大きな壊死巣があり、表層の壊死物質は多数の細菌を伴っていました。
骨髄はかなりの過形成でした。主たる細胞は大型のリンパ球であり、リンパ腫やリンパ性白血病にみられる細胞によく似ていました。巨核球はほとんど見られませんでした。
まとめ
骨髄では放射線の影響のため巨核球が減少しており、血小板減少があると思われますが、皮膚の点状出血は少なく臓器には出血は顕著ではありません。また、骨髄では細胞自体は増加しており(過形成)、異型のある大型リンパ球の増殖の記載がみられます。これも放射線の影響と思われますが、骨髄やリンパ節での異型細胞の出現は、造血組織の腫瘍化を示しているのかもしれません。
両肺では、高度な壊死性変化を伴う急性気管支肺炎の所見が認められます。これが直接の死因と考えられます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/02/28