No.A037
年齢 | 22 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/01 |
剖検年月日 | 1945/09/01 |
被爆距離 | 1000 m |
被爆時地名 | 基町(西練兵場) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
中国第104部隊の軍人でした。
屋内で被爆し、外傷ややけどは負いませんでした。
症状の経過
8月19日に水様性血性の下痢、8月23日に発熱が始まり、8月26日に点状出血、8月28日に鼻血と直腸出血が生じました。
8月29日宇品陸軍病院へ入院しました。8月30日には口内炎と扁桃炎が出現、発熱は40.0℃に達し、呼吸困難も生じました。
8月28日の血液検査では、赤血球251万/μl、白血球500/μlと著明低値、8月31日には赤血球100万/μl、白血球300/μlとさらに減少していました。
血液培養検査では、溶血性連鎖球菌が陽性でした。
当時の記録からわかること
栄養状態は不良でした。
いくつかの紫斑が頚部と四肢にみられました。右足に8mm大の潰瘍がありました。頭髪は明らかに脱毛がみられました。
右肺下葉には卵大で楔形の暗赤色の出血巣がありました。
胃粘膜には多数の点状出血がみられました。小腸には潰瘍はありませんでしたが、1cm大の出血がありました。盲腸には潰瘍と出血があり、腫れていました。大腸にも同様の潰瘍がみられました。
右の扁桃腺が腫れ、壊死していました。
病理組織標本からわかること
残っている標本は脳のみで、大きな異常は認められませんでした。以下は当時の記録にある組織所見です。
大腸の粘膜下層に大きな出血が見られました。その周囲には、リンパ球や形質細胞が散見されました。
精巣に精子は少数しかみられませんでした。
リンパ節には乾酪壊死がみられ、周囲に類上皮細胞とまれにラングハンス型巨細胞が見られました。
骨髄は脂肪髄で、後骨髄球より成熟した顆粒球はみられませんでした。有核赤血球もほとんどみられませんでした。
まとめ
放射線の影響による骨髄の造血組織の萎縮は高度であり、血小板の減少による出血傾向として胃や小腸の点状出血や皮膚での斑状出血がみられます。
扁桃腺の壊死や皮膚の出血を伴う潰瘍は、好中球減少による免疫力低下の影響と考えられます。血液培養で菌が検出されたということは菌血症の状態であり、このことや、肺の出血による呼吸困難、大腸の多発性の出血性潰瘍による下痢や下血が死因になったと思われます。
リンパ節での結核巣は、既往の感染の再燃と考えます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31