No.A036
年齢 | 2 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/10/07 |
剖検年月日 | 1945/10/08 |
被爆距離 | 1100 m |
被爆時地名 | 不明 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
屋内で母親の腕の中で被爆しました。
日本家屋がつぶれて圧迫されたことによりお尻にすり傷を負いました。
症状の経過
9月14日から1日に7回の下痢をしていました。
9月27日、全身のだるさを訴え、10月1日からは食事がとれなくなり、10月7日に死亡しました。
当時の記録からわかること
身長86cmであり、著しくやせた男児でした。体中の皮膚には点状出血が少数、散在していました。
左肺下葉には暗紫色の出血巣が散在性に、右肺上葉には大型の出血巣が見られました。
肝臓は黄色で脂肪肝の所見でした。栄養失調による脂肪肝と考えられます。
胃や回腸には回虫がいました。胃粘膜や虫垂に少数の出血点が見られました。
骨髄では巨核球と有核赤血球はみられませんでした。
病理組織標本からわかること
骨髄、精巣、大脳、小脳、脊髄の標本が残っています。
大脳、小脳、脊髄には異常はありません。
まとめ
とてもやせていて、栄養状態が悪かったようです。
骨髄では、造血細胞の顕著な減少が認められ、急性期の放射線障害と思われます。当時の記録によると、胃、大腸、両側腎、両側副腎などに新鮮出血がみられますが、これは骨髄における巨核球の減少、血小板減少が原因と考えられます。
直接的な死因としては、両側肺における出血を伴う急性肺炎が重要ですが、栄養失調や被爆による免疫力低下、出血傾向などが悪化要因になったと思われます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31