No.A035
年齢 | 28 歳 |
---|---|
性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/08 |
剖検年月日 | 1945/09/08 |
被爆距離 | 1000 m |
被爆時地名 | 基町(中国第104部隊) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
軍人でした。
兵舎内で被爆し、建物の倒壊により下敷きとなりました。
頭部に傷を受け、一時的に意識を失いました。左腕、背中、顔にも傷を受けました。やけどはありませんでした。
症状の経過
被爆当日に何回か嘔吐しました。
8月9日に大野陸軍病院に収容され、8月20日に宇品陸軍病院へ転院しました。このころから脱毛がありました。
8月27日には全身に点状出血がみられ、8月31日には嚥下痛を伴う口内炎が出現しました。
9月1日から死亡時まで、最高40.3℃の発熱がありました。
9月7日の血液検査では、赤血球339万/μl、白血球1900/μlと低値でした。
当時の記録からわかること
全身の皮膚に点状出血が見られました。
両肺には下葉を中心に出血がありました、心外膜に点状出血がありました。
胃や小腸、大腸の粘膜には多数の点状出血、小出血がありました。胃と小腸に合わせて3匹の回虫がいました。
頚部と左顎下部のリンパ節は著しく腫大していました。
病理組織標本からわかること
残っている標本は腎臓のみです。以下は当時の記録にある組織所見です。
肺の細気管支の壁は壊死しており、その内腔に大型の細菌の塊が見られました。周囲の肺胞壁も壊死している部分があり、その他の肺実質は無気肺状でした。
肋骨の骨髄は主として脂肪髄で、全体に再生の兆しはほとんどありませんでした。
まとめ
骨髄では造血組織の萎縮がみられ、巨核球・血小板の減少による出血しやすい状態があり、全身皮膚、心外膜、胃や腸管に点状出血がみられます。感染に弱い状態にあったと思われ、左頚の外傷後に化膿性の炎症による潰瘍形成がみられます。骨髄の変化は放射線の影響と考えられます。
両肺には、下葉に出血を伴う急性気管支肺炎があり、これが直接的な死因と考えられます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/02/28