No.A027
年齢 | 24 歳 |
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性別 | 女 |
死亡年月日 | 1945/10/07 |
剖検年月日 | 1945/10/07 |
被爆距離 | 2000 m |
被爆時地名 | 比治山 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
屋外で作業中に被爆しました。
左耳のあたりに外傷、両腕と肩から骨盤にかけて広範囲にやけどを負いました。
症状の経過
やけどのためずっと逓信病院に入院していました。8月6日から死亡日まで全身倦怠感、食欲不振が続き、またてんかんの発作が何度かありました。
10月6日、錯乱状態となりその翌日に亡くなりました。やけどは治癒していませんでした。
血液検査では、8月27日(赤血球185万/μl、白血球2400/μl)と9月12日(赤血球224万/μl、白血球2500/μl)には軽度の血球減少が見られましたが、9月15日には赤血球320万/μl、白血球5400/μlと回復していました。
当時の記録からわかること
左耳から下顎にかけての皮膚に、外傷による潰瘍性病変がありました。やけどの痕は左肩甲骨から背中の下部、肩関節から上腕に見られました。この傷は深く、治癒していません。
肺にはうっ血があり、点状出血も見られました。
胃、小腸、大腸には回虫がいました。
骨髄の構造や細胞密度は正常と変わりませんでした。
病理組織標本からわかること
この方は骨髄の標本しか残っていませんでした。
まとめ
骨髄標本では巨核球、赤芽球はよく保たれ、放射線による造血細胞への影響からは回復してきていると判断されます。
肉眼所見の記録からは、両肺に急性うっ血水腫があると推測されますが、肺炎の有無はわかりません。
明確な死因を指摘することはできませんが、やけどが治癒していない状態ですので、菌血症が存在した可能性があります。
てんかんや錯乱状態があったとのことから、頭部外傷による脳障害なども考えられます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31