No.A025
年齢 | 19 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/12 |
剖検年月日 | 1945/09/12 |
被爆距離 | 600 m |
被爆時地名 | 下中町(広島中央電話局) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
中央電話局の事務員でした。
コンクリート製のビル内で被爆しました。
症状の経過
被爆後すぐにはきけ、嘔吐、食欲不振が出現し、死亡日まで続きました。
8月25日に脱毛に気が付きました。
9月2日に発熱と出血斑がみられ、9月 4日に逓信病院に入院しました。入院時から発熱、全身倦怠感が続きました。
9月10日の検査では、赤血球286万/μl、白血球1600/μlといずれも低値でした。
当時の記録からわかること
栄養状態は不良でした。頭髪は脱毛していました。多くの点状出血が頭皮、顔面、体幹、四肢にみられました。口唇には浅い潰瘍と、多くの点状出血がありました。
両側の胸腔には血液の混ざった胸水がたまっていました。横隔膜と左肺の間に血腫がありました。左肺の下葉にはソラマメ大の出血巣がありました。右肺は下葉だけでなく、上葉にも出血巣がありました。
胃内には大量の血性の液体や血液塊がありました。粘膜にはいくつかの点状出血がありました。大腸でも粘膜に点状出血がみられました。
病理組織標本からわかること
この方の組織標本は、骨髄と精巣、大腸のみが残っています。
まとめ
放射線の影響として、骨髄では造血細胞が著明に減少しており、再生の所見もみられません。赤血球の増生も少なく、巨核球は認められません。
その結果、血小板の減少による出血傾向がみられ、全身の皮膚、胸膜、胃粘膜、大腸粘膜などに点状出血があり、両肺には限局性の出血がみられます。
好中球の減少により感染しやすい状態であったと思われ、口腔粘膜、胃粘膜に炎症が認められます。
被爆後から続く食欲不振でかなり痩せており、全身の状態悪化が予想されます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31