No.A021
年齢 | 62 歳 |
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性別 | 女 |
死亡年月日 | 1945/10/06 |
剖検年月日 | 1945/10/06 |
被爆距離 | 1500 m |
被爆時地名 | 南竹屋町 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
日本家屋内で被爆しました。
家屋の倒壊で右胸部を打撲しました。
症状の経過
被爆当日からはきけ、嘔吐があり、食欲不振は16日まで続きました。
8月6日から6日間下痢がありました。一度は治まりましたが、9月6日に再発し、それからは死亡日まで続きました。
8月22日に出血斑が出現しました。
9月19日には歯肉炎と咽頭炎が出現し、死亡日まで続きました。
当時の記録からわかること
極度に栄養状態が不良でした。顕著な脱毛がありました。顔面には高度な黄疸が見られました。
左肺の上葉に少数の出血がありました。右肺の上葉はうっ血していましたが出血はありませんでした。
胃には浅い潰瘍がありました。小腸の下部50cmには浮腫が見られました。大腸全体に多数の不整形の潰瘍が見られました。大きさは1cm程度で、いくつかの潰瘍は新しいものでした。
右腎に少数の出血点がみられました。
病理組織標本からわかること
残されている組織標本は、骨髄と大脳、小脳のみです。
小脳に明らかな異常は認められません。
まとめ
骨髄の所見としては、骨髄球系の細胞には過形成の所見がみられ、赤芽球系でも赤芽球を多数認めています。放射線の影響は明らかではありません。
当時の記録にある、胃や小腸下部の病変、大腸の多数の潰瘍が重要と考えられますが、それらの標本が残っていないため確認できません。放射線の影響による腸管上皮の障害が潰瘍の原因と思われ、そのためにはきけや食欲不振などの消化器症状と下痢が生じ、栄養失調をきたしたと考えられます。
肺などに出血が認められますが、死因になるほどの病変ではないと思われます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/02/24