No.A018
年齢 | 21 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/11 |
剖検年月日 | 1945/09/11 |
被爆距離 | 1000 m |
被爆時地名 | 不明 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
軍人でした。
顔、頚部、肩、上肢、右手背にやけどを負いました。
症状の経過
8月18日臨時野戦病院から岡山陸軍病院へ転院した際、体温は38.2℃、脈拍は90/分でした。顔面は蒼白で、点状出血は認めませんでした。やけどは治りかけていましたが、上皮に被われない部分もありました。発熱が続き、食欲不振となり徐々に衰弱してゆきました。
8月29日には体温は39.8℃まで上昇、この高熱は死亡時まで続きました。
9月11日、下痢と強い発汗があり、その日の午前中に亡くなりました。
当時の記録からわかること
皮膚に点状出血はありませんでした。
肺は両側とも全体にやや浮腫性でした。
脾臓の被膜には黄茶色の部分がみられ、それらのいくつかは硬く、奥深く進展していました。硬結の表層部分は黄色で小さな梗塞やクルミ大の出血巣が見られました。
右の腎臓では米粒大の黄色の病変が見られました。左腎臓の下半分には暗茶色の着色があり、出血と思われました。その他に多数の米粒大の化膿巣が見られました。
病理組織標本からわかること
肺には中等度の急性うっ血水腫、急性気管支肺炎が見られました。
脾臓ではリンパ濾胞が消失していました。梗塞様壊死巣と、その周辺に出血が見られました。
リンパ節にはリンパ球はかなりの数が存在していました。
まとめ
両側の腎臓に広い範囲に膿瘍がみられます。肺では限局性ながら急性気管支肺炎がみられ、脾臓では出血性梗塞を認めます。これらの病巣には好中球浸潤が伴い、炎症に対する細胞の反応が認められます。この所見からは菌血症の存在が示唆されます。おそらく皮膚のやけど部分からの細菌の侵入があったと思われます。
脾臓やリンパ節では、リンパ濾胞が消失していますが、リンパ球産生は残存しています。骨髄も軽度ながら過形成であり、巨核球も散見されることから、造血細胞は原爆放射線の影響からは回復してきていたと考えられます。炎症に対する反応が見られることもこれを裏付けます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31