No.A017
年齢 | 14 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/04 |
剖検年月日 | 1945/09/05 |
被爆距離 | 800 m |
被爆時地名 | 国泰寺町(広島第一中学校) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
木造校舎の下敷きになり、頭、額に軽いけがを負いました。
症状の経過
被爆当日、5~6回嘔吐しました。
8月7日から全身倦怠感が始まり、死亡日まで次第に増悪しました。
8月19日から脱毛、発熱がありました。
8月22日に歯肉炎、25日に咽頭炎があらわれ、この頃より紫斑が続きました。
8月22日の血液検査では、赤血球476万/μl、白血球800/μlでしたが、8月31日には白血球210/μlまで減少しました。 9月3日の白血球数は800/μlと、わずかに回復傾向でした。
当時の記録からわかること
栄養状態は不良でした。体の表面に、点状出血が散在していました。頭髪はかなり抜けていました。
右肺上葉には点状~やや大きめの出血が見られました。左肺は浮腫があり、その中に散在性に出血が見られました。気管にも点状出血が見られました。
脾臓のリンパ濾胞は不明瞭でしたが、脾柱は明瞭でした。
胃粘膜には粟粒大の点状出血が多数みられました。直腸の粘膜には軽度のうっ血がみられ、少数の点状出血を伴っていました。咽頭粘膜は広範囲に壊死していました。
病理組織標本からわかること
標本は残っていません。以下は当時の記録にある組織所見です。
肺には無気肺の部分と肺気腫の部分があり、無気肺部分の肺胞内には大型の細菌塊が見られました。細気管支の粘膜は壊死していました。
咽頭の一部の上皮は壊死していました。壊死物質には細菌の塊が含まれ、少数のリンパ球と好中球が見られました。
胸骨の骨髄は細胞が多く、未熟な骨髄球系の細胞が多数見られました。成熟した好中球は減少していました。巨核球は認められました。長管骨の骨髄は低形成で脂肪組織が多く、わずかに大型細胞の集まりが見られました。
まとめ
骨髄における造血組織の減少があり、血小板減少による点状出血が、皮膚、胸膜、胃粘膜などにみられます。感染しやすい状態もあると思われ、肺炎や、咽頭粘膜の壊死性変化などがみられます。この骨髄の変化は、放射線障害と思われます。腸骨の骨髄では細胞数の増加があり、造血回復の兆しは見えていたようですが、血球数の回復には至っていません。
両肺には散在性の出血を伴ううっ血水腫の状態であり、細菌の塊が見られることから細菌性肺炎がその原因と考えられます。この肺病変が直接の死因になったと考えられます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/10/24