No.A134
年齢 | 29 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/08/14 |
剖検年月日 | 1945/08/14 |
被爆距離 | 1200 m |
被爆時地名 | 基町(北方兵舎前) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
屋外で被爆しました。建物の近くにいたため、倒れた壁で負傷しました。
II度のやけどを顔面、右手、胸部、腹部と背部の右側に負いました。大腿骨の下1/3を骨折しました。
症状の経過
やけどの痛みはひどくはありませんでした。 はきけと嘔吐、食欲不振がありました。
8月9日から発熱が続きました。死亡前に興奮状態となった後、意識喪失して似島で死亡しました。
当時の記録からわかること
中等度の体格で、栄養状態は良好でした。
顔面、胸部、背部、腹部の右側にII度のやけどがあり、黒茶色で、縁が赤い被覆物で被われていました。大腿骨には骨折があり、その破片は皮膚を貫通していました。
腹腔にはかなり新しい癒着が見られました。胸腔は両側とも広範囲に癒着していました。心のう内には約60mlの透明な液体が貯留していました。
左肺尖部には硬結がみられ、これはかなり古い限局性の結核病変でした。
胃粘膜には点状出血が散在していました。0.5cm大の新しい潰瘍がありました。
病理組織標本からわかること
標本は残っていません。以下は当時の記録にある組織所見です。
胸膜には癒着の痕跡がみられました。左肺上葉には多くの乾酪結節がありました。これらは類円形で、一部に石灰化物を含み、周囲には多くのリンパ球とラングハンス型巨細胞、類上皮細胞が見られました。
胃の上皮は全体によく保たれていました。粘膜に壊死はありませんでした。
部位は不明ですが、1個の大型のリンパ節がありました。小型あるいは大型のリンパ球が多数認められました。
まとめ
組織標本は残っていないため、当時の記録から推測しました。
肺の炎症巣には成熟白血球の浸潤が乏しく、炎症反応の減弱がみられます。左肺上葉では、線維性結合組織に被われた乾酪壊死が認められ、陳旧性肺結核の再燃とみなされます。前述した炎症反応の減弱による影響が大きいと思われます。
その他には心のう水の貯留や軽度の腹膜炎を示唆する腹膜の癒着が認められます。
直接死因としては、結核症の再燃も関与したと思われます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31