No.A133
年齢 | 18 歳 |
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性別 | 女 |
死亡年月日 | 1945/08/22 |
剖検年月日 | 1945/08/22 |
被爆距離 | 600 m |
被爆時地名 | 下中町(広島中央電話局) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
コンクリートの建物内で被爆しました。
外傷ややけどはありませんでした。
症状の経過
被爆後食欲不振が強くほとんど食事がとれませんでした。
8月12日に西条の傷痍軍人広島療養所に入院しました。
8月16日から発熱があり、39℃から40℃の高熱が死亡日まで続きました。
8月18日舌に計3個の大豆大の潰瘍が認められました。
8月20日の血液検査では、赤血球393万/μl、白血球2700/μlでした。
当時の記録からわかること
皮膚に点状出血はありませんでした。
脾臓は縮小していました。肝臓の割面は黄色で、脂肪化が示唆されました。
腸間膜には小さな点状出血がありました。腎臓に点状出血が見られました。胃、上行結腸の粘膜に多数の点状出血が見られました。
両肺はうっ血していました。
大腿骨の骨髄には骨髄細胞は見られず、細網細胞が主体で形質細胞も多く見られました。白血球は主として小リンパ球でした。
病理組織標本からわかること
残っているスライド標本はリンパ節と骨髄の二枚のみです。
リンパ節のスライドはスキャンができませんでした。
まとめ
骨髄では、造血細胞の減少がみられ、細網細胞の増殖と形質細胞およびリンパ球がみられます。血小板減少による出血傾向として、胃や大腸及び腎に点状出血が認められます。これらの変化は放射線の影響と考えられます。
脾臓は肉眼的に小型と記載されていますが、組織標本はなく、組織所見の記載も残っていません。
標本からは直接的な死因となる病変は見出せませんが、骨髄所見から感染しやすい状態にあったと考えられ、また高熱が続いていたとの記録から、敗血症であったことが推測されます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/10/24