No.A132
年齢 | 23 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/09/01 |
剖検年月日 | 1945/09/01 |
被爆距離 | 1000 m |
被爆時地名 | 水主町(中島国民学校付近) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
屋外で建物疎開作業中に被爆した軍人です。
やけどはありませんでした。
爆風で投げ出されて後頭部を打撲し、仁保国民学校救護所にて加療を受け、8月16日には隊に戻りました。
症状の経過
8月17日に脱毛と点状出血が始まりました。発疹を伴う発熱もありましたが軽快しました。
8月26日に出血を伴う歯肉炎を発症しました。
8月27日宇品陸軍病院入院時、発熱は38.5℃、脈拍90/分でしたが、これ以後、より高い発熱が続きました。上肢に多数の点状出血があり、歯肉出血が著明でした。
当時の記録からわかること
全身の皮膚にあざがありました。左耳の後、両腕、腹壁、左足全体、右足の側方、膝関節などに多数の小さな潰瘍を伴う紅斑がみられました。
右肺中葉には、梗塞と思われる楔状の出血塊がありました。右肺の他の部分や左肺には粟粒大の出血がありました。
心臓の僧帽弁や左心室の心内膜に米粒大の疣贅(ゆうぜい)がみられました。
胃粘膜や小腸には多数の出血が見られました。虫垂や直腸の粘膜にも出血がみられました。
扁桃腺は壊死している部分がありました。
病理組織標本からわかること
残っている標本は脳のみであり、大きな異常は認めません。以下は当時の記録にある組織所見です。
壊死している肺組織の中心に細菌の塊が見られます。
胃の粘膜固有層全体に出血が見られます。
リンパ節では成熟したリンパ球はかなり少なく、壊死性していて細菌塊のみられるリンパ節もありました。
骨髄は、大半が脂肪細胞からなり、リンパ球と形質細胞が主体でした。顆粒球系細胞は少なく、巨核球は見られませんでした。赤芽球も少数でした。
まとめ
骨髄では、巨核球、骨髄球、赤芽球のいずれもその産生は著しく障害され、リンパ節でのリンパ球産生も著しく減少しており、これらは放射線の影響と考えられます。
血小板の減少による点状あるいは斑状の出血が、全身皮膚や多くの臓器に認められます。また、免疫力低下状態にあったと思われ、皮膚の紅斑形成や扁桃腺の壊死は、それによると考えられます。
肺では、右肺中葉に肉眼的に出血性梗塞が疑われる病変があり、その他の部位でもうっ血水腫が高度で、小さな多数の出血を伴っており、これが死亡の原因になったと考えられます。
僧帽弁の疣贅(ゆうぜい)の形成は死亡直前の時期の心内膜炎と思われます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31