No.A125
年齢 | 24 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/08/10 |
剖検年月日 | 1945/08/11 |
被爆距離 | 800 m |
被爆時地名 | 材木町 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
爆心地から800mの建物の2階にいて被爆しました。
倒壊した家屋の下敷きとなり、顔面、四肢、背部などにけがをしました。
症状の経過
被爆時からはきけがありましたが、嘔吐や下痢はありませんでした。しばらくしてから、倦怠感に襲われましたが、発熱はありませんでした。
死亡前日、興奮状態になった後、意識不明状態に陥りました。似島で亡くなりました。
当時の記録からわかること
栄養状態は良好でした。暗紫色の打撲傷が両頬、肩、左肘と左腕、両足にみられました。左の後頭部に7cm大の、頭蓋骨が一部欠損するほどの深い傷がありました。
両肺とも上葉には肺気腫がみられました。線維化巣があり、肺尖部は癒着していました。小さな出血巣があり、またいくつかのソラマメ大あるいはアワの種の大きさの結節がありました。
胃内や十二指腸内には数匹の回虫がいました。胃に多数の出血斑が見られました。
病理組織標本からわかること
標本は残っていません。以下は当時の記録にある組織所見です。
肺には乾酪物質で被われた結核結節を認め、一部は空洞を形成していました。
脾臓には著しい変化はありませんでしたが、大型の胚中心の細胞は核がはっきりせず、細胞質は縮み、不透明で顆粒状となっていました。
精巣では核分裂像がまれであり、成熟した精子は減少していました。
まとめ
組織標本は残されていないため、当時の記録から推測しました。
直接死因としては、はっきりと指摘できる病変はありません。頭部に深い傷があり、明らかな脳出血などは指摘されていないようですが、死亡につながる何らかの影響はあったかもしれません。
放射線の影響としては、脾のリンパ組織の萎縮と精巣での精子形成の低下があげられます。
両肺には陳旧性結核を示唆する線維化巣の他に、乾酪壊死を伴う空洞形成がみられ、結核の再燃が疑われます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31