No.A121
年齢 | 15 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/08/11 |
剖検年月日 | 1945/08/11 |
被爆距離 | 1000 m |
被爆時地名 | 国泰寺町(広島市役所裏) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
広島市役所裏の屋外で勤労奉仕中に被爆しました。その時は白いシャツを着ていました。
顔面、頭部、首、前胸部、肩甲部、両脚などに重度のやけどを負い、似島に搬送されました。
症状の経過
被爆後早期から意識混濁がありました。嘔吐もみられました。
翌日には頻回の下痢も始まり、38℃から39℃の発熱も出現、持続しました。
8月10日の白血球数は9500/μlと軽度高値でした。
当時の記録からわかること
やけどの部位(後頭部、背部、顔面、前胸部)では、皮膚がはがれていました。
肺には多数の点状出血が胸膜の前面と下面にみられました。軽度の肺気腫がありましたが、限局性の病変は認められませんでした。
脾臓では濾胞はほとんどみられませんでしたが、脾柱は明瞭でした。
脳軟膜は混濁しており、血管周囲は乳白色でした。
病理組織標本からわかること
標本は残っていません。以下は当時の記録にある組織所見です。
肺のいくつかの小動脈には、赤血球やリンパ球のからまったフィブリンの塊で占められていました。この物質は、やけどした皮膚の血管にみられる血栓に似ていました。
脾臓ではリンパ組織の萎縮が目立ちました。
皮膚のやけどの部位では、変化は皮下脂肪組織へ及んでいました。脂肪組織の一部や、多くの毛嚢や汗腺は壊死していました。小出血が壊死巣内にみられました。小型血管の多くは血栓を含んでいました。
まとめ
組織標本は残っていないため、当時の記録から推測しました。
原爆放射線による影響として、脾臓とリンパ節では、リンパ組織の萎縮がみられ、骨髄では造血組織の萎縮がみられます。皮膚のやけど部位では治癒傾向はみられません。広範囲、重度のやけどによる死亡と考えられます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31