No.A012
年齢 | 39 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/08/12 |
剖検年月日 | 1945/08/12 |
被爆距離 | 1000 m |
被爆時地名 | 基町(中国第104部隊) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
中国第104部隊の軍人でした。軍施設の屋内窓際で被爆しました。
建物は崩壊し、下敷きになりましたがかろうじて自力で這い出しました。
右足を骨折し、顔面、右肩にやけどを負いました。背中に傷を負いました。
症状の経過
はきけや嘔吐、下痢はありませんでした。
頭痛と発熱が続き、被爆後6日目に似島で死亡しました。
当時の記録からわかること
背中の挫傷と顔面のやけどがありました。
右足の骨折した部分は腫れており、暗紫色でした。右後面の胸膜や心外膜に出血が認められました。
胃の噴門部の粘膜に多数の出血がありました。
腎臓の粘膜に多数の点状出血がありました。
クモ膜下腔に大量の出血が認められました。また、脳の右後頭葉は全体的にうっ血と出血が認められました。右側頭部に親指大の暗赤色の出血があり、この部分は脳実質の表層部にも挫傷が認められました。
病理組織標本からわかること
標本は残っていません。以下は当時の記録にある組織所見です。
大脳ではうっ血性で広く拡張した中等大の血管が見られ、そのいくつかは破綻し、大きな出血と多くの小さな出血巣が認められました。
やけど部分の皮膚では、上皮は完全にはがれていました。表層部分に細菌の塊と細胞浸潤がみられました。
骨髄では細胞成分は著明に減少していました。マクロファージはかなりの数が存在し、赤血球を貪食している像がみられました。少数の顆粒球、主に好酸球が見られましたが、巨核球や赤血球系細胞ははほとんどみられませんでした。
まとめ
組織標本は残っていないため、当時の記録から推測しました。
骨髄では細胞が減少しており、おそらく血液中の血小板も減少して出血しやすい状態であり、そのために心外膜、胸膜、胃粘膜などの点状出血を起こしたと考えられます。
被爆時のけがによる大脳の後頭葉、側頭葉の出血がみられ、これが主な死因と思われますが、出血傾向により悪化した可能性があります。
骨髄での造血組織の萎縮や、脾臓やリンパ節でのリンパ組織の萎縮は放射線の影響と考えられます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31