No.A117
年齢 | 30 歳 |
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性別 | 男 |
死亡年月日 | 1945/08/14 |
剖検年月日 | 1945/08/14 |
被爆距離 | 300 m |
被爆時地名 | 大手町(広島銀行集会所) |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
海軍の軍人でした。海軍の事務所として使われていた広島銀行集会所(コンクリート造)で被爆しました。
症状の経過
被爆後直ちに、岩国海軍病院へ入院しました。
8月12日、39℃の発熱があり、血性の下痢が頻回にみられました。
8月14日に突然呼吸困難となり、顎のけいれんを生じました。舌の下に血腫が見られました。
8月11日の血液検査では赤血球数265万/μl、白血球400/μlと低値でした。
8月14日には赤血球数165万/μl、白血球100/μlとさらに減少していました。
当時の記録からわかること
栄養状態は良好でした。
頚部の両側が腫れていました。後頭部、顔、左肩、腹の左側、左肘、右足に圧挫傷、首と胸部にII度のやけどがありました。
両肺には空気の泡を含む大量の血液がみられました。線維性癒着の痕跡がありましたが、結核の肉芽腫は認められませんでした。
肝は中等度うっ血しており、小葉構造は明瞭でした。
上行結腸の粘膜のあちこちで、偽膜物質の赤黒色の塊がかさぶたになっていました。横行結腸の粘膜には出血性のびらんがありました。
病理組織標本からわかること
標本は9枚あり、すべて腸管と思われます。
しかし死後変化が高度で、しかも組織内にガス産生によると思われる空隙が多く作られ、所見を観察することができません。(スキャンも行っていません)
また、当時の記録にも組織所見は記載されていませんでした。
まとめ
外表所見として、身体各所の圧挫傷と首、胸部のやけどがみられます。
内臓の所見としては、両肺の急性うっ血水腫と大腸の限局性の炎症などがあげられます。これらからは、直接的な死因となりうる重大な病変は見出せませんが、発熱や血性の下痢、血液検査で著しい血球減少がみられていたことなどから、敗血症性ショックであったのではないかと考えられます。
また、当時の記録には、血管内に気泡が見られることから空気塞栓が死因ではないか、との記載があり、これは何らかの原爆の作用によるのではないかとの推測が記されています。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/03/31