No.A106
年齢 | 24 歳 |
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性別 | 女 |
死亡年月日 | 1945/08/14 |
剖検年月日 | 1945/08/14 |
被爆距離 | 2000 m |
被爆時地名 | 千田町 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
屋外で被爆しました。
ワンピースを着ていました。顔面、頚部、両前腕、両下肢にII度のやけどを負いました。
症状の経過
やけどの痛みは軽度でした。39.2℃の発熱が継続し、著しい下痢がありました。尿蛋白がみられました。
8月14日の白血球数は9500/μlと軽度高値でした。
持続的に興奮状態でしたが、死亡前日に意識不明に陥りました。
当時の記録からわかること
栄養状態は良好でした。
顔面、頚部、両前腕、両下肢にII度のやけどがあり、表皮は剥がれ、暗茶色のかさぶたで被われていました。小さな点状出血が皮膚のさまざまな部分にみられました。
左胸腔胸膜には点状出血が見られました。右胸腔では癒着や点状出血は認めませんでした。
左肺は葉間で癒着していました。下葉の後面と下面に、径0.3cm大の石灰化した結節が認められました。
胃の粘膜面には多数の小出血が認められ、顕著なうっ血も伴っていました。
骨髄は軟らかく、黄色でした。
病理組織標本からわかること
標本は残っていません。以下は当時の記録にある組織所見です。
胸膜には癒着のなごりがみられ、それらの間に血液の漏出がみられました。
脾臓では小リンパ球は少なく、大型のリンパ球が多数認められました。
長管骨の骨髄は広く脂肪髄でした。かなりの数の顆粒球が見られましたが、多くは未熟細胞であり、成熟白血球はまれでした。巨核球はごく少数でした。赤血球の産生像はほとんどありませんでした。
皮膚では完全に上皮が失われていました。真皮では多くの白血球が見られましたが、一部は顆粒球であり、一部は大型のリンパ球でした。
まとめ
組織標本は残っていないため、当時の記録から推測しました。
骨髄は脂肪髄で、高度の造血組織の萎縮があると思われます。残存する造血組織では大半が骨髄球系細胞ですが、成熟した白血球はまれであり、巨核球も少なく、赤血球産生細胞もごく少ないと推測されます。それによる出血傾向として、皮膚や胃腸粘膜などに点状出血がみられます。
脾臓におけるリンパ組織の萎縮もみられ、これらの骨髄及び脾臓の所見は放射線の影響と思われます。
左肺では小さな陳旧性結核病巣がみられ、胸膜の癒着や肺門リンパ節の石灰化を伴います。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/04/21