No.A104
年齢 | 37 歳 |
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性別 | 女 |
死亡年月日 | 1945/09/27 |
剖検年月日 | 1945/09/27 |
被爆距離 | 1000 m |
被爆時地名 | 鉄砲町 |
出典:国土地理院の空中写真(1945-1950撮影)を加工して掲載
被爆状況
屋外に立っていて被爆しました。黒の半そでシャツとモンペを着用していました。被爆後すぐに家の下敷きになっていた自分の子供達を助けるために、家に入りました。
症状の経過
全身倦怠感がありましたが、8月27日までは仕事に行っていました。9月1日になり、発熱と点状出血と口内炎が出現しました。9月24日に宇品陸軍病院に入院しました。その際の診察で、肺雑音が聞こえました。呼吸困難を訴え、9月27日に死亡しました。
9月25日の血液検査では、赤血球数は150万/μlと著明な低値、白血球数も1,900/μlと低値でした。
当時の記録からわかること
胸膜に多数の点状出血と両肺に多数の硬結がみられました。左肺では、上葉の後面と下葉の前方に2つの大きな膿瘍がありました。これらの膿瘍の壁はかなり薄く、周囲はうっ血していました。
卵巣は萎縮しており、軽度にうっ血がみられ、左卵巣には点状出血が見られました。
両方の扁桃腺は親指大に腫れており、灰白色の膿を含む小さな膿瘍がみられました。
右大腿骨上1/3の骨髄は赤色髄でした。
病理組織標本からわかること
標本は残っていません。以下は当時の記録にある組織所見です。
胸膜と気管支血管周囲につよい浮腫が見られました。肺の大部分は壊死しており、細菌の塊を含む空洞が形成されていました。辺縁には比較的状態の良い肺胞があり、こうした部分には多数の成熟白血球が認められました。
脾臓には成熟したリンパ球は少なく、多くの大型の未熟なリンパ球が見られました。
骨髄はほとんど脂肪髄でした。骨髄球糸細胞は散在してみられましたが、成熟した細胞はほとんど認められず、骨髄球が多く見られました。まれに巨核球も見られました。
まとめ
標本が残っていないため当時の記録から推測しました。
両肺とも高度な急性化膿性気管支肺炎がみられます。放射線の影響と思われる骨髄での造血細胞の減少と、脾臓、リンパ節におけるリンパ球産生の低下による免疫力低下が基盤にあると思われます。
卵巣の萎縮も放射線の影響と思われます。
両肺の高度な急性化膿性気管支肺炎による呼吸不全が直接の死因と考えられます。
- 作成日
- 最終更新日
- 2022/01/31